時は1844〜1853年(弘化・嘉永)の頃、野上宿に「ふさ」という女がいた。
人並み勝れた女子であり乍らどうしたことか30歳を過ぎても嫁がなかった。
当時は15・6歳で嫁になる娘が多く、ふさ女は一日毎に悶々とした日を過ごしていた。
或夜のこと、思わぬ夢枕にあった。「北川の橋のたもとに行って見よ、木流し人足が作業中拾って置いて行った男根の石がある。見ただけで心が躍る。撫でれば身が悶える。見ているだけでも満足出来る」とのお告げがあった。翌朝さっそく兄を連れ北川のたもとへ行った。お告げ通り、稀に見る一物! 二人は驚嘆のあまり暫く声も出なかった。縁にあやかり度い。と手を合わせ裏山に運び置いて、朝夕拝み撫で見ては身と心を慰めていたという。
しかし、ふさ女は不幸にも37歳の若さで世を去った。1961年(昭和36年)
野上区でこの道祖神を掘り起し祠を建て哀れな生涯を弔って、ふさ女の霊を祀ったという。
・陰陽の自然石道祖神 ふさ女の供養塔碑
・人々の幸と縁結び子宝に効あり 平成4年3月川崎町教育委員会
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